時代屋プロ 其の13  武ちゃんの「外郎売の口上」

                               

外郎売の口上                            

 「外郎売(ういろううり)の口上」は約300年前、江戸の享保年間に二代目・市川団十郎によってつくられたものです。口上は音声表現として、日本語が持っている色々な可能性を極めたものであります。言葉の面白さ、言い回しの面白さがあふれています。

 享保の頃、歌舞伎俳優・二代目市川団十郎は痰と咳の持病で、舞台にたっても口上が言えず役者をあきらめかけていた。ところが、たまたま「ういろう」のことを聞き、服用してみるとさしもの難病がすっかり治り、感激のあまり団十郎は小田原の外郎家へお礼に参上した。有名な団十郎であったが役者である。江戸時代は歌舞伎俳優の社会的地位が非常に低かった時代である。一方、外郎家は武家ではなかったが、その家系は諸大名の認めるところであり、格別に遇されていた家柄である。団十郎は挨拶だけして帰ろうとした処、座敷に通されて主人の厚いもてなしを受けた。主人の人柄にうたれた団十郎は、舞台で「ういろう」の効能を述べて、御恩返しをしたいと申し出たのである。外郎家としては、それでは宣伝になるからと堅く断った。然し団十郎に、この霊薬を広く知らせることは人助けであり、世のためだからと強く主張されて、遂に舞台での上演を承知した。歌舞伎十八番「外郎」の出来たのはこのようないきさつからである。

 歌舞伎十八番「外郎」は享保3年春、初めて江戸森田座で「若緑勢曽我」の外題で出演されて大変の好評であった。団十郎自らあでやかな姿のういろう売りとなって述べるその台詞は今でも俳優の台詞の稽古に使用されるというほど見事なものである。そして、現在はアナウンサー・俳優の早口言葉のバイブルにもなっている。

 ←現在の外郎家の正面玄関 

平成20年8月30日、「外郎売の口上」の本場で「第5回 外郎売の口上大会」が開催されるとの情報を受け、俳優養成所に通っている時代屋武ちゃんは、さっそく小田原に飛んで大会実行委員会のメンバーに会い、前日からリハーサルに参加、素晴らしいイベントの体験をすることができた。
また、小田原市本町1-13-17 株式会社ういろう へ立ち寄り、薬の「ういろう」を購入するとともに参考資料を頂戴してきた。

            
大会実行委員会代表・桜井氏が市川団十郎の舞台姿でお出迎え?            第5回外郎売の口上大会パンフレット

 「外郎売の口上」の台詞は、タレントスクールの舞台稽古で毎回レッスンを積んでいたが、本場の「外郎売の口上」とは若干異なる部分はあるが、本場の台詞に近づけ、講師の先生にもアドバイスを受けながらどうにかしゃべれるようになった。そこで、この「外郎売の口上」を大道芸として舞台で上演できないものだろうかと思案の末、講師の先生から特訓を受けて平成21年3月7日、東大阪市民文化芸術祭の舞台で上演することができた。

 
 ”拙者親方と申すは、お立会いの中にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへお出でなさるれば・・・”

 
 ”・・・・・隠れござらぬ、貴賎群集の花のお江戸の花ういろう。あれあの花を見て、・・・・・薬師如来も上覧あれと、頬うやまって、ういろうはいらっしゃいませぬか。”

                                                                

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